猫背矯正(ねこ背矯正)

いきなり伸ばすと危険?!

 

背中が前に曲がり、背骨や胸郭がうしろに出っ張った(後彎(こうわん)した)状態を猫背といいます。

 

医学的には、脊柱後彎症とか円背(えんぱい)、亀背(きはい)と呼ばれます。

 

背骨が曲がっているだけでなく、両肩が前に出ていることもよくあり、いっそう背中が丸くなって見えます。

 

背骨が左右に曲がったり、胸郭がねじれたりする脊柱側わん症を伴うことも少なくありません。

 

姿勢が悪いことで猫背になることもありますし、背骨の病気(ショイエルマン病など)で猫背になることもあります。

 

骨粗しょう症で徐々に猫背になることもありますし、圧迫骨折でいきなり猫背になることもあります。

 

猫背になると身長が低くなります。

 

いちばん背が高かったときと比べると、猫背になってから10cm以上背が低くなったという方もまれではありません。

 

猫背になると、内臓とくに心臓や肺を収めるスペースが狭くなり、呼吸や血液の循環に悪影響を及ぼします。

 

集中力が落ちたり、運動能力が低下したり、さまざまな不利益を猫背はもたらします。

 

痛みを伴わない猫背も多いため、猫背は放置されやすいですが、健康のためにも猫背を改善されることをお勧めします。

 

高齢期になると、急激に猫背が悪化することもあります。

 

できるだけ早いうちに、矯正を開始しましょう。

 

自分で矯正するのも良いですし、専門家に手伝ってもらうのも良いでしょう。

 

猫背のために仰向けに寝ることができない人は、クッションなどを使って、まず仰向けに寝る練習から始めましょう。

 

仰向けに寝ることができる人は、バスタオルなどを折りたたんで背中の出ているところに当て、毎日10分寝てみましょう。

 

それでも改善されない場合は、筋肉が固まっていることがあり、専門家にほぐしたり伸ばしたりしてもらいましょう。

 

早くなおそうとして、無理をしてはいけません。

 

半年とか1年とか、長期的に矯正する計画をして、毎日こつこつと続けることが大事です。

 

身長を毎回、矯正前、矯正後にはかっておくと、目安になります。

 

猫背がひどいときは身長が低くなりますし、順調に矯正できているときは徐々に身長が高くなります。

 

半年ほど前から通院されている患者さんの例を挙げます。

 

その患者さんは、若いころ、身長が165cmありましたが、猫背になって156cmになられました。

 

施術を繰り返すことで、162cmまで身長が回復されました。

 

まだ、矯正の途上ですが、歩くのがとても楽になり、スピードもアップされたそうです。

 

あせらず、こつこつ、少しずつが大事です。

 

一気に猫背を矯正しようとすると、さまざまな痛みが出てくることがあります。

 

たとえば、体をそらせる体操などで無理やりなおそうとすると、首や腰に痛みが出てくることがあります。

 

猫背の場合、背中とは反対に、首や腰は反りすぎている(前彎しすぎている)ケースを良く見ます。

 

このようなケースで、いきなり体全体を反らすと、首や腰がさらに反りすぎてしまい、危険なのです。

 

むしろこのようなケースでは首や腰を前に曲げる矯正が必要になります。

 

猫背を矯正するには、同時進行で首や腰もなおさなければなりません。

 

矯正しようとすると痛みが出てくるような場合は、専門家に手伝ってもらったほうが無難でしょう。

 

もちろん当院でも猫背の矯正をお手伝いしております。

 

当院では、背中だけでなく、首や腰、胸、腕、脚などにも施術し、できるだけ早く回復していただくように努めています。

 

脊柱の側彎や胸郭のねじれもあれば、一緒に矯正させていただきます。

 

 

首や腰にいためているところがあって、猫背になっている人もいます。

 

そういう人への施術の様子を書いた記事がありますので、よろしければ参考にしてください。

 

(対人援助学マガジン29号に投稿した「接骨院に心理学を入れてみた」より、該当部分を以下に転載しました)

 


姿勢が悪い

「うちの子、姿勢が悪いので、みてください」
母親に連れられて、中学生のA君はやってきた。
反抗する訳でもないが、自分から進んで来たわけでもなさそうだ。
口数が少ない。
もっぱら説明するのは母親だ。
「いくら言っても、背中が曲がるんです。ほら、ちゃんと背筋を伸ばして」
施術用のベッドに腰掛けたA君、ちょっと背筋を伸ばした。
「ゲームのやりすぎだと思うんですけどね」
私は母親の言葉にこたえた。
〈お母さんは、ゲームのやりすぎが原因だと思われているんですね〉
ものの1分もしない内に、A君はダランとした、元の姿勢にもどってしまった。
「ほらー、すぐまた曲がる」
母親の語気がちょっと強くなった。
〈おうちでも、ずっとそんな感じで注意してはるんですか?〉
「そうなんですよ。しょっちゅう注意しないといけないんで、ええ加減、疲れました」
〈ほー。それはお母さんもたいへんですね〉
「勉強するときとか、こんな感じで・・・」
母親は体を右に傾けて、机にもたれるように勉強しているA君のまねをして見せてくれた。
A君はこちらを見て、ちょっと恥ずかしそうに、照れ笑いをした。
〈お母さん、A君が姿勢が悪いのには、何か原因があるのかもしれません。一度、体をみさせてください〉
「お願いします」
〈はい。じゃあ、A君、まっすぐ前を向いて・・・、自分の感じで、体をまっすぐにしてみてくれる〉
ベッドに腰掛けたA君の姿勢を、後ろから観察する。
確かに背中が丸くなって、体が右に傾いている。
体が右に傾けば、右肩が左肩よりも下がりそうだが、左肩のほうが右肩よりも低くなっている。
左肩が下がっている場合、背骨のどこかが左に曲がっていることが多い。
〈A君、普段、どこか痛いとか、だるいとか、具合の悪いところない?〉
A君はめんどくさそうに答えた。
[別に・・・、特にないです]
〈ちょっと体をさわってもいいかな〉
[はい]
背中をなぞってみると、背骨はC字状に右にカーブしていた。
〈痛いとこはないっていったけど、いたんでいるところは、かるーく押さえただけでも痛いことがあ
るからね。すこーし押さえてみてもいい?〉
[はい]
何カ所か触ってみて、私の手が腰椎の左側の部分にきたときだった。
そこを軽く押さえると、A君は
「イタっ!」
と大きな声を上げて、体をビクっとのけぞらせた。
〈ここ、痛いよねー〉
[あー、痛かった]
〈ビックリさせちゃったね。ごめんごめん〉
「うちの子、腰をいためているんですか?」
そばで様子を見ていた母親が、心配そ
うな顔をしてA君の顔をのぞきこんだ。
〈どうやらそのようですね〉
A君は左腰を左手でさすった。
〈右腰はどう?
押さえたら痛い?〉
[んー、ぜんぜん痛くありません]
〈ねっ、正常なところは、ちょっとやそっと押したくらいでは痛くないでしょ?〉
[はい]
〈悪いけど、体を右に倒してもらえる〉
私はA君に、ベッドに右手をついて、体を右に傾ける姿勢をとってもらった。
A君はまだ左腰を左手でおおっていた。
私は、抵抗するA君の手をめくって、先ほど押さえて痛かったところを押さえた。
A君は「ヒーーーィ」と息をのんで、顔を引きつらせた。
「イタ・・・く・な・い。アレっ、痛くない」
A君は安堵して、体の力を抜いた。
〈ほら、こういう姿勢をすると痛くないやろ〉
[はい]
「えっ、痛くないの?」
母親がキツネにつままれたような表情をうかべた。
〈じゃあ、前後ろでやってみようか。はい前に体を倒してー〉
そう言ってA君に前傾姿勢をとらせ、私は同じ場所を押さえた。
「イテテテ・・・」
〈こんどは後ろー〉
A君に体を反らせてもらって、同じ場所を押さえた。
「痛くない」
〈じゃあ、右に体をねじると痛いんじゃない?〉
[イテっ、はい、痛いです]
〈こんどは、左にねじると?〉
[痛くありません]
〈ほかにもいろいろありそうですけど、A君が左腰をいためているのは間違いありません〉
私はA君と母親に、とりあえずここまででわかったことを説明した。
〈A君は腰を左前にねじっていためています。専門用語では捻挫といいます。
捻挫したところは、ねじれたほうにもっとねじると痛みが強くなり、ねじれを戻すと痛みが軽くなります。
A君、さっき調べさせてもらったけど、わかる?〉
[はい。なんとなく・・・]
〈もしかして、左腰が痛いとき、なかった?〉
[うーーーん。そういえば、サッカーやってて、痛くなったことがあった]
「えっ、どうして言わなかったの?」
母親がA君に質問した。
[うーーーん。なんか言いにくかったし、そのうちに忘れてた]
〈やっぱりね。レギュラーあらそいとかあると、痛いのを我慢してしまう子供さん、多いですよ〉
「いや、ぜんぜん気がつきませんでした」
〈A君の体がゆがんでいるのは、腰椎が左前にねじれているのを元に戻そうとしているからなんです。
ゆがんでいるというよりも、ゆがめているんです。無意識にね。
腰椎が左にねじれているから、体を右に倒す。前にねじれているから、腰を後ろに反らす。
でもどこかで前に戻さないといけないから、背中が丸くなる〉
「じゃあ、姿勢を良くするにはどうすればいいのですか?」
〈いまのままでは、良くしようとすればするほど、かえってこじらせるかもしれませんね。
まず、本人がゆがめたい方向にもっとゆがめて、腰のねじれを矯正します。
一度で、矯正できてしまうこともあれば、クセがついていて、また元にもどってしまい、何回も矯正を繰り返さないといけないこともあります。
腰がねじれていると、首や肩、脚などは腰と筋肉でつながっているので、そちらもねじれてきます。
それをそのままにしておくと、こんどはそちらがねじれているせいで、腰がねじれてくるので、腰と一緒に矯正していきます。
よろしいですか?〉
「はい。お任せします」
〈腰のねじれがとれてくると、かばって体をゆがめていたところに痛みが出てくる場合があります。
ゆがめていたのが、ゆがみになってくるわけです。
体が右に曲がってみえますが、今はそのままのほうが楽なので、そっとしておきましょう。
左腰の痛みがとれてくると、右半身に痛みが出てくるので、そのときに右に曲がっているのを矯正します。
そうすれば、体は今よりずっとまっすぐになると思いますよ〉
「わかりました。じゃあ、いまは姿勢を良くしなさいって注意しなくてもいいのですね」
〈おっしゃるとおりです。しばらくはここに通って、お家での様子をみていてください〉
その後A君にベッドに横になってもらい、関連してねじれているところがないかみさせてもらった。
首や左肩がねじれていて、触って痛い所が左半身に何カ所もあった。
A君も母親も、こんなに痛い所があるのかと驚いていた様子だった。
ねじれを矯正すると、触って痛いところはなくなった。
「こんなにすぐに痛みがとれるんですか?」
〈いまは、ねじれたところを元に戻したから触っても痛くないだけです。治ったわけではありません。
一度ねじれたところは、そちらにねじれるクセがついています。
クセがとれて、どこも痛くないようになったら、治ったと言っていいでしょう。
クセがとれるまで、きちんと通院させてください〉
「そうさせます。私もなんだかホッとしました」


2回目も、A君は母親と来院し、施術の様子を母親は見守っていたが、3回目からは、A君は一人で来院するようになった。
A君が一人で行けると言ったのか、母親が一人で行きなさいと言ったのかは聞いていない。
A君は週に2回くらい、通院していたが、左半身の痛みが減ってくると、だんだん右半身に痛みが出てきた。
体をゆがめていたのが、こんどはゆがみとなって現れたのだ。
これには、ゆがみをまっすぐにするアプローチが有効だ。
腰から上の痛みが減ってくると、続いて、股関節から下の痛みが増えてきた。
このころからA君は、ここが痛いと自分から教えてくれるようになった。
子供は、自分の体のどこがいたんでいるのかわからないことが多い。
A君が自分の体のいたんでいるところに気づけるのはいいことだ。
気がつかずにいるうちに、状態が悪化したり、骨が変形してしまったりすることがあるからだ。
骨が大きく変形してからでは、まっすぐにするのはむずかしい。
大人は、子供の体を観察したり、触ってみたり、会話に耳を傾けたりして、異変に気をつけたいものだ。
その点、A君の母親はちゃんと観察していたし、うまくいかないときは専門家に相談することもできた。
母親として、適切な対応だと思う。
心理的な問題でもそうだが、問題を解決しようとする努力が、悪循環を生み出していることがある。
体の問題でも、見た目だけで判断すると、解決できないことがよくある。
治らないばかりか、本人、家族、専門化が一緒になってこじらせてしまうことだってある。
よその接骨院から移ってきた患者さんたちの話をきいていると、うまくいかなかった治療の中に、そういうケースがふくまれている。
たとえば、「体をまっすぐにしましたと言われたけど、ちっとも楽にならなかった」とか、
「こういうストレッチをしたらいいと言われてやってみたけれど、悪化した」とか、
「矯正されてかえって痛くなって、治療が続けられなくなった」といったケースだ。


私がA君の腰におこなったアプローチは、心理療法の「症状の処方」にヒントを得ている。
A君は、いたんだところに負担をかけないように体をゆがめていた。
一方、母親はA君が体をゆがめているのを問題ととらえ、症状を出させまいとしていた。
A君が見せていた症状は、問題ではなく、解決方法だったのだ。
私は、A君の症状を強調し、A君の体をよりゆがませることで腰椎を矯正した。
その結果、A君は体をゆがめる必要がなくなった。
しかし、A君の体には、体をゆがませ続けたひずみが残っている。
私が予告したとおり、ゆがませていたところに痛みがでてきたので、そのゆがみも矯正した。
そうしてA君の背骨は、別人のようにまっすぐになった。
私も見立て違いをして失敗することがあるので、偉そうなことは言えないが、体の対人援助は、「ゆがみをまっすぐにする」というアプローチばかり目にする。
「よりゆがませる」といったアプローチがもっと認知される必要があるだろう。
A君は、治療が終盤に近づいたころ、感想を教えてくれた。
「今は、背筋を伸ばして、姿勢を良くしている方が楽」
A君のケースように、私は心理学の理論や援助技術を加味して、柔道整復術を提供している。
もし「症状の処方」といった知識がなければ、「よりゆがませる」というアプローチができただろうか。
おそらく無理だったか、たどり着くのにたくさんの歳月を要したに違いない。

元記事はこちらhttp://www.humanservices.jp/magazine/vol29/52.pdf